市川に宝物が埋まってい!「赤レンガをいかす会」設立シンポジウム

市川に宝物が埋まってい!「赤レンガをいかす会」設立シンポジウム

大盛況にて終了しました!

2月6日13時30分、会場の和洋女子大学東館16階の大教室は満杯になりました。
100名くらいはと思っていたのが、ほとんどのマスコミやミニコミ誌に紹介記事が掲載されたのが影響して、会場には200名近い市民が集まってきて、熱気に包まれたシンポジウムとなりました。
 
準備会代表の私の挨拶に続いて、赤レンガ建造物のある旧千葉県血清研究所で働いていた鈴木一義氏から基調報告。スライドに映し出された全景は、まさに会場の窓の下に広がっているのですが、肝心の赤レンガは建物群の影になって残念ながら見ることはできません。写真や図面を使って、研究所の歴史とともに、赤レンガ建造物の現状が報告されました。

続いて、和洋女子大学教授の中島明子氏のコーディネートのもとにシンポジウムへと進みました。
報告の1は、日本近代史研究家の高野邦夫氏による「戦前の市川は軍都だった」と題する報告。明治の初め、ここに大学校を建設するつもりで国家が買収した広大な土地は計画の頓挫(結局本郷に決まって東京大学となった)の後、陸軍省の管轄に変わって、この一帯は広大な下士官養成施設となっていきます。太平洋戦争の敗戦まで、市川は軍人養成基地であり、軍隊とともに発展した軍都であり、また数多くの兵隊たちが戦場に派遣されて死んでいった恨みの町でもあったのです。そしてその痕跡はもはや赤レンガ以外にほとんど残ってはいません。

報告の2は、日本大学教授の藤谷陽悦氏による「赤レンガの建築的意義について」の話。明治30年代、日清日露と続く戦争拡大政策に応じて、日本全国に数々の赤レンガ施設が軍部によって建設されていきました。各地の実例とともに、国府台の赤レンガ建築がその時代の遺跡として如何に貴重な存在かを説明してくれました。

報告の3は、建築家の高木彬夫氏による「赤レンガの建物としての特徴と再生」。詳細な調査の必要性を前提としながらも、再生利用は十分であること、そしてまた研究所の他の建築物も近代建築として個性的な輝きを残していることも指摘され、施設全体の有効利用法として、平和と環境と文化を核とした市民中心の諸活動の拠点となりうる可能性を指摘されました。

その後20分の休憩を挟んで、質疑応答と意見交換。会場からは参加された8名の市会議員の一人増田氏が近親の戦争体験とともに赤レンガ保存への共感と市議会への陳情書を出すように提言され、今後の活動への示唆を投げかけられました。

そして最後に「赤レンガをいかす会」の正式発足。私の代表とともに、運営委員が承認され、今後の活動プランを確認しました。
 
さて、今後の活動ですが、まず県に働きかけて、3月中にぜひ見学会を実施したいと思います。県では4月から本格的な土壌調査に入ります。研究所後ということで有害物資の残存の可能性があるからです。次は東京都北区の中央図書館(見事なレンガ建築です)を含めた各地の建築物の見学ツアーを計画しています。そして経緯を見つつ県や市に陳情や要請活動を強めていきたいと思います。私の実感では4、5年以内に何らかの目処は出るだろうと思っていますが、数ヶ月に一度は通信を出して、交流を深めたいと思っています。

活動成果数値  入会員90名 カンパ収入90,000円弱
会費制をとりませんので、今から参加ご希望の方はお申し出ください。イベントごとに連絡します。

夕刻は18階レストランで30名以上の参加のもとに懇親会。富士山の頂上をかすめるように夕陽が落ちていきます。くっきりと浮き上がった成層火山の勇姿、なんとも壮観な光景が広がっていました。
諸兄に感謝します。

「赤レンガをいかす会」代表  吉原廣

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